父の遺したパワーパック

 

 父は鉄道模型をやっていた。

 Oゲージの円形線路とB型電機が一両、それと信号機。

 交流3線式でタップ・トランスから電源は供給。

 直巻モーターなので、前後進は機関車につけた逆転機で切り替える。

 

 小学4年で父が亡くなった後、たまに箪笥の上の、板紙の洋服箱に入れてあったそれらを組み立てて遊んだ。そのうち調子が悪くなり、悪戯心で分解してそのままとなった。叱る人はもういなかったから。

 機関車の下回りは散逸してしまい、ブリキの車体だけが残った。

 ブリキの線路も残っているが、この上を走れる車両は今ではもう無い。

 父の鉄道模型遺産。B型電機の車体。

 

 あれから40年余りが過ぎて、母が施設へ移り空家となった実家の片付けの途上、そのタップトランスが卵ボーロの段ボールから出てきた。小学校の卒業メダルや何かと一緒に。当時トランスが乗せてあった、真空管ラジオ用のアルミシャーシと、3Aのセレン整流器と。

 セレン整流器? 交流なのに?

 それで私は気がついた。父が鉄道模型を直流2線式に改造しようとしていた事を。

 つまり、父は鉄道模型を発展させようとする途上だったという事だ。

 

 その当時、岳南鉄道のペーパーキットを作りだしたばかりの私には、パワーパックが無かった。

 HOゲージはARIIEF65プラキットを改造した動力車が一両きり。

 Nゲージの車両も実家から出てきたが、パックは散逸していた。

 走らせるにはパックが要るが、当時は事情から月の小遣いを1万円に制限されていた私には新品のパック購入など思いもよらない。何とかならないかと悩むうち、あのタップトランスと整流器が使えたら、寄せ集めの部品で何とかなるかもと思いついた。

 切り替え端子の板が割れかけたトランスを調べると、一部断線があったものの、それは切り替え端子から線が外れただけと分かり、外から半田付けで修理可能と分かった。

 問題はセレンで、半導体世代の私には配線法が分からなかったが、幸い手元にあった機芸出版社のTMS別冊「たのしい鉄道模型」にパワーパックの自作法が解説されており、そこにセレン整流器の配線法も書かれていた。

 

 

 この本の初版が出されたのは昭和39年(私が買ったのは昭和48年版の第9版)、掲載記事は昭和30年代前半のもので、Nゲージなど影も形もない頃の本である。当然部品もまだまだ少なかったが、皆少ないパーツを上手に使って車両や線路を自作していた。

 もちろん今では当時よりパーツも入手し易くはなったが、HOゲージの盛りをとうに過ぎた現在では、部品はふたたび入手困難になってきている。あっても精密な分ものすごく高価だったりして、到底手が出ない。

 安達の国鉄蒸気用ボックス動輪など、軸受付で9千円もする。もっと小さいロコを作ろうと思っても、小径のスポーク動輪がまた同じ位高価だ。入門用にCタンク機を自作しましょうなんて言ったら、KATOの線路付きセットが買えてしまう。これって一体どういうことなのだ。日本は何でも手に入る豊かな国ではなかったのか?

 そんなわけで現実には結局自作するしかないとなると、むしろ知恵を絞って車両を作っていた昔の本のほうがよほど参考になる。この本のなかでなかお・ゆたか氏がダイオードもセレン整流器も使わないで、車両の前照灯と尾灯を点灯・切り替える方法を紹介しているが、皆さんやり方が想像つくだろうか?

 

 ともあれ、父が買っても使わなかった新品のセレン整流器を使って、パワーパックを作ってみた。

 ジャンボエンチョーで買ってきた木っ端にトランスとセレンをネジ止め。このセレンのネジが曲者で、アルミのホルダーまで出てきたが、ネジのピッチが合わず固定できない。インチネジか何かだろうと思うが買うのが嫌で、くずビス入れを漁っていたら、ピッチ違いなのに偶然うまく固定できるナットが見つかり解決。

 配線は手持ちのものを使用。電源スイッチはAC100Vの配線の途中に入れる手元スイッチが工具箱に偶然転がっていたのを使用。買っても300円以下のものだ。あと貴重なセレンを保護するのにヒューズは必須で、古いカーステレオから外したヒューズケース付き電源線を廃物利用、2Aのガラスチューブ入りヒューズだけは新品をエンチョーで買ってきた。

 前後進切り替えは普通ならDPDTのトグルスイッチを使いタスキに配線するところだが、こうしたスイッチは油断すると500円以上かかってしまう。悩んでいた時に富士吉原の模型店、湖月堂の棚に売れ残った逆転機を見つけた。何と1個100円と言うので、これを使うことにした。端子台は高校時代の電子部品のジャンク箱から発見したもので、カーステレオ固定用の金具を使って木っ端へと固定した。

 

 

 時間がなかったので筐体には何と段ボール箱を使った。火災には要注意、いずれもっときちんとした箱に作り変えよう。加工は手軽なので、工夫して蓋ができるようにした。4才の娘が蓋に貰ってきたシールを貼って飾りにした。

 

 廃物と手持ち品ばかり使ったので材料費は新品のヒューズだけ、400円程度である。

 Youtubeに私が始めてUPしたEF65の動画で、機関車を動かしていたのは、このトランスである。

http://www.youtube.com/watch?v=VyLFB4CBfDE&feature=youtu.be

 

 父の遺したタマゴボーロの箱には、何と未使用のニクロム線も入っていた。つまり父はレオスタットの手製もたくらんでいたと思われる。これも昔の鉄道模型の本で作例を見かけたので、いずれ作ってみようと思う。

 父の遺したニクロム線

 

手製レオスタットの作例(機芸出版社「レイアウトモデリングに収録」)

 

 父はなぜ鉄道模型を止めたのか。

 実は同時期に日本グランプリが開催されたようで、そこで父はスロットレーシングカーに興味が移ってしまったらしい。我が家には実はニチモの124のプラ製コースセットとタミヤ製などのレーシングカーが数台遺されており、これまた中学から高校の頃、集電ブラシなどの消耗部品が尽きるまで遊んだのだった。その時一番速かったのは、クリアボディに父自作のシャーシを付けたフォードGT40だった。

 父の自作の血はいつの間にか私の中に流れていたようです。そうとう劣化してここに発現したわけですが。(笑)